日常の非日常

 
 
イタリアに戻ってから すぐに学校の授業に拘束され
 
荷をほどくのも ままならないまま
 
土曜からPratoに行っていた 私ですが
 
 
本当は日本の話を更新しようと思ったのだけれど
 
 
白熊のおじさん( マンマのお兄さん。マージョのお姉さんと結婚しているので兄姉がお互いの弟妹と結婚していることに )が
 
危篤、そして月曜日の朝( 今朝 ) 亡くなりました。
 
 
 
いえ 去年肺ガンで 手術、その後 治療を受けていて
 
確かに 私が日本に出発する時期には 具合があんまり良さそうではなかったのだけど
 
帰ってきたら 入院していて お見舞いに行った日曜日には すでに意識の無い状態でした。
 
 
「 もう呼びかけても答えないし、会いに行っても 分からないと思う 」
 
と泣きながらマンマの説明を受けたのだけれど
 
 
会いにいくと 病院のベットの上に苦しそうに口で息をしながら寝ている叔父さんの姿がありました。
 
 
その姿が あまりに苦しそうで なんだか輪郭( オーラ )も2重にぶれて見え
 
思わず < 大丈夫だよ。 肉体を離れることは消して怖くないよ、大丈夫。 > と心の中で話しかけながら 近づいてゆくと
 
叔父さんの息づかいが 少しゆっくりになり、
 
ふいに その右目がゆっくり開いていったと思うと 私の前で 両眼が天井を見上げて開いたのです。
 
 
 
驚いて まじまじと見つめる私の傍らで
 
異変に気づいた おばさんが 「 ああ、死んでしまう。 もう死んでしまう 」 と泣き叫び、すぐに看護婦さんが呼ばれ
 
私たちは お医者さんの命令で 一旦病室から 外に出されました。
 
 
その後 また状態は戻ったものの・・・・
 
 
死にゆく人の姿を こんなに間近に見るのは多分初めてのことで 
 
悲しいというのではなく 怖いというのでももちろんなく
 
ただただ 失われてゆく命の哀れと おじさんの63歳の人生とその周りの人々の記憶と願いを思って 胸が痛くなりました。
 
 
 
この日、なんとなくPratoに残ることにして 泊まっていくと
 
朝起きたら もうおじさんは亡くなっていました。
 
 
今 一旦戻ってきたものの ( 洋服の替えが無かったので )、明日 再びPratoで お葬式に出ます。
 
 
なんと言ったらいいのか 本当によく分からないのだけど
 
おじさんの冥福を心から 祈ります。
 
 
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日常の非日常 への9件のフィードバック

  1. Unknown より:

    ぐうたらねこです。<(_ _)>
     
    「死」を恐ろしいものにしてしまうのは。
    遺されていく側の、ワガママなのかもしれないな、とか、思ってしまいました。
     
    「幸せな生」「辛い生」があるように、「幸せな死」「辛い死」もきっとある筈。
    (ただ、順番があって。「幸せな死」は「幸せな生」の向こう側にあると信じたい。
     「辛い生」から逃げるために「幸せな死」に憧れるのは間違いだと思いたい。
     生きている間は、現世の幸せをたっぷり味わわなくちゃ。どんな境遇にあったとしても。)
     
    きっと私も、これからたくさんの方々を見送ることになるんだと思う。(…順番から行くと、多分。^^;)
    旅立つ側の方にも、見送る側の方にも、「幸せなお別れ」ができますようにと願っています。
    息子の教科書に載っている「とっておきの贈り物」のように…。 

  2. azusa より:

    63歳ですか、まだお若いですね。似たような感じで生まれてから一緒に暮らしていた祖母を亡くしたとき私の母が喋れなかったけど話せたッて言ってました。バロンさんが呼びかけたのと一緒だったのでしょうか。死んでも魂は無くならないのでおじさんの違う世界への旅が無事でありますよう。ご冥福をお祈りします。
    おばさん達は大丈夫ですか?そしてバロンさんは大丈夫ですか?こういうとき心身ともにパワーを使うので、休める時は休めてください。

  3. カルメン より:

    大変な一日でしたね。。。
     
    きっと叔父様に、バロンさんの呼びかけが伝わったんでしょうね。それで安心できたのでは。と思います。
     
    「もう危篤だから聞こえない」といいますが、人間の感覚で最後まで残るのが聴覚だそうです。母が、遠い親戚が危篤で苦しんでいるところにたまたま一人になったとき、(やはり「何を言ってもダメです」といわれたようですが。)「大丈夫ですよ。心配ありませんよ。」とずっと耳元で囁いていたところ、苦しみが消えたようにすっと静かになり、安らかに最期を迎えたそうです。
    きっと叔父様も、心の耳でバロンさんの声を聞いたんだと思います。
     
    ありんこさんの仰るように、バロンさんのような方は、特にすごく疲れてしまうと思います。バロンさんも、無理なさらないでください。。。
     
    これからおば様たちが、時間はかかっても、幸せな余生をおくれること、そして叔父様のご冥福をお祈りいたします。

  4. la ragazza giapponese! より:

    私の従兄弟は自転車で電車に突っ込み、自殺しました。先週です。
    命って、なんだろう。
    そんな風に考えていて答えが出ず、白熊さんのおじさんのようにまだ生きたかったと思いながら亡くなる方のことを思うと、ますます苦しい気持ちになります。
    私は従兄弟の死を乗り越えるまでに時間がかかりそうです。
    おじさん、愛する人々に囲まれてきっと幸せだったことでしょうね。

  5. meow より:

    なんだか、バロンさんが日本から戻ってくるのを待っていたみたいですね。
    バロンさんの声はちゃんと伝わったんだと思います。
    遺される方は悲しいけれど、おじさんは家族に見守られて幸せだったと思います。
    心からご冥福をお祈りします。

  6. りか より:

    死ぬことだけは誰にでも平等に与えられている。
    わかってはいても、やっぱり非日常であって、
    出来るなら、あまり起きて欲しくない出来事ですね。
     
    ホントにバロンさんの事を待っていたみたいです。
    63歳はまだまだですもんね。
     
    バロンさん、人は移動した距離の分だけ疲れます。
    自分の事も気を遣ってあげてくださいね。
     

  7. Baron より:

    ぐうたらねこさん☆
     
       
      >旅立つ側の方にも、見送る側の方にも、「幸せなお別れ」ができますようにと願っています。
     
       ほんとうにそうですよね!
     
       今回 お葬式に参加して思ったことは
       <お葬式は 故人を忍ぶために行われるものではなくて
         本来 残されたものの為に行われるもの。>です。
     
       ( いや 双方かな。 ひとつの心の区切りだよね )
     
       いつかは別れてゆくものだから
       幸せな別れ方をしたいものです。
     
    *★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
     
    ありんこさん☆
     
       若いですよね。 
       叔父さんのお父さん( つまり白熊のおじいさん )は93歳で 
       お葬式で見た 後ろ姿は痛ましかったです。
     
       いまわの際には 確かに言葉は通せなくても
       意志の疎通ができるものだと 私も思ってます❉
       
       ありがとう。
       少しゆっくり休み・・・・・・  休めません!(∋_∈)
                            ↑
                     帰ってきて 色々たまってるのでした
       

  8. Baron より:

    カルメンさん☆
     
       そうでしたね(∋_∈)
        
        叔父さんが 目を開けてゆく姿は
        意識がもうろうとしているというよりは
        意志をもって 何かを見ようとしているような
        そんな感じがありました。
     
        私の心の呼びかけも 多分 他の人々の呼びかけも
        伝わっていたのだと思います。
     
        皆がはやく元気になれればと 私も願っています❉
     
    *★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
     
     
    Makikoさん☆
     
       大変でしたね(∋_∈)
       私も Makikoさんのブログは読んでました。
       
       死を選ぶ権利があると主張する人も居るけれど
       生まれてきた生を喜んでくれた人々が
       何処かに必ずいたこと、 必要としている人々がまだいることを
       見失わってしまった行く末のような気がします。
     
       自殺は 普通のお別れではなくて
       残されたもののショックも そして多分その方の魂のショックも
       相当なものがあると思います。
      
       Makikoさんも 体を少し休めてね。
     
       
       

  9. Baron より:

    Meowさん☆
     
       出発前は 体の調子があまり良くないといいながらも
       それなりに元気だったのに
       戻ってきたら 集中治療室だったので
       私も びっくりしました。
     
       最後に病室であった時は ほんとうに苦しそうだったので
       長引かせずに旅立てたのは 本人にも 周りの人にも
       幸せなことだったかもしれないと 今 思います。
     
       ぐうたらねこさんが言うように
       幸せな死というものがあれば
       おじさんは まさしくその中にはいったかなぁ。
     
    *★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
     
    りかさん☆
     
       
      >死ぬことだけは誰にでも平等に与えられている。
      >わかってはいても、やっぱり非日常
     
       ほんとうに。(∋_∈)
     
       死というものを目前としたときの周りの行動には
       いくつかあるなぁとちょっと思いました。
     
       やけに明るく振る舞う人、嘆き悲しむ人、遠巻きに無いことのように振る舞う人。
       
       それだけ 死というものは 日常、触れてはいけない
       直視してはいけないもの、と人によって感じられるものなのかも。
     
       死を目前にして とまどうのは 実は周りの人のほうかもしれませんね。
     
       
       体の事を気遣ってくれてありがとう、りかさん。
       確かに 距離を移動すると
       体だけでなく 心にもある程度の負担がかかっているような
       気がします。
     
       ソレガ証拠に 額中に ニキビが噴火したのにびっくりしました( ̄ロ ̄lll)
       
     
       
       

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